おともだち
娘と、そのおともだちのお話です。
いつも学校の休み時間に遊んでいる仲良しの女の子のお誕生日会に呼ばれませんでした。
うちにも遊びにくる子だし、少し前に「お誕生日会に来てね!」と言っていたので不思議でした。
今も学校などで仲良く遊んでいるその子の言い訳1は「リストに入れるの忘れちゃった!」
言い訳2は「お母さんが6人までって言ったから。」
言い訳3は「特別なおともだちだから、他の日にうちに呼んであげる。」
なんだかとてもあからさまだったのと、思ったことを熟考せず口に出してしまうダメな母親の私は「それって、おかしくない?彼女にとって、あなたは本当に大事なおともだちなの?」などと発言してしまいました。
幸い、娘は私の発言など気にも留めず。
「うん、そうだと思う。」
「他の理由があって私を呼べなかったのかもしれないし。」
「私は気にしないよ。良い子なんだよ!」
週末パパに頼んでおもちゃ屋さんに連れて行ってもらいました。
自分のお小遣いを使いプレイモビルが好きなその子にプレゼントを買っていました。
「お誕生日会に呼ばれてないからプレゼントあげなくてもいいんだよ!」という私たちに、「お誕生日会は今日やってるみたい。呼ばれなかったけど、金曜日に私と同じ9才になったんだよ!」「コレ欲しいって言ってたから、月曜日に学校であげるの。」「喜ぶ顔見るのが楽しみなんだ。」って、今朝は満面の笑顔で出かけて行きました。
娘が、彼女がお誕生日に呼んでくれなかった!もう友達じゃない!という発想をもたなかったことや、娘のこの一件のココロの捉え方がとても好きだなと思いました。
(この際、呼ばれなかった理由はどうでも良いわけで^^)
幸せか不幸か、というのは捉え方ひとつ。
良い形で受け取ってあげたときに変わってゆくこともあると思います。
幸せに生きてゆくというのはこういうことなのかもしれない。
これは大人の世界にも言えるのではないでしょうか。
長く生きていると、良い経験ばかりではないので、大人の方が否定的に捉えがちです。
これは私自身にも言えます。今回また娘に学びました。
そして、なにより娘の成長のかたちが喜ばしいもので、純粋に嬉しくなりました!
いつも学校の休み時間に遊んでいる仲良しの女の子のお誕生日会に呼ばれませんでした。
うちにも遊びにくる子だし、少し前に「お誕生日会に来てね!」と言っていたので不思議でした。
今も学校などで仲良く遊んでいるその子の言い訳1は「リストに入れるの忘れちゃった!」
言い訳2は「お母さんが6人までって言ったから。」
言い訳3は「特別なおともだちだから、他の日にうちに呼んであげる。」
なんだかとてもあからさまだったのと、思ったことを熟考せず口に出してしまうダメな母親の私は「それって、おかしくない?彼女にとって、あなたは本当に大事なおともだちなの?」などと発言してしまいました。
幸い、娘は私の発言など気にも留めず。
「うん、そうだと思う。」
「他の理由があって私を呼べなかったのかもしれないし。」
「私は気にしないよ。良い子なんだよ!」
週末パパに頼んでおもちゃ屋さんに連れて行ってもらいました。
自分のお小遣いを使いプレイモビルが好きなその子にプレゼントを買っていました。
「お誕生日会に呼ばれてないからプレゼントあげなくてもいいんだよ!」という私たちに、「お誕生日会は今日やってるみたい。呼ばれなかったけど、金曜日に私と同じ9才になったんだよ!」「コレ欲しいって言ってたから、月曜日に学校であげるの。」「喜ぶ顔見るのが楽しみなんだ。」って、今朝は満面の笑顔で出かけて行きました。
娘が、彼女がお誕生日に呼んでくれなかった!もう友達じゃない!という発想をもたなかったことや、娘のこの一件のココロの捉え方がとても好きだなと思いました。
(この際、呼ばれなかった理由はどうでも良いわけで^^)
幸せか不幸か、というのは捉え方ひとつ。
良い形で受け取ってあげたときに変わってゆくこともあると思います。
幸せに生きてゆくというのはこういうことなのかもしれない。
これは大人の世界にも言えるのではないでしょうか。
長く生きていると、良い経験ばかりではないので、大人の方が否定的に捉えがちです。
これは私自身にも言えます。今回また娘に学びました。
そして、なにより娘の成長のかたちが喜ばしいもので、純粋に嬉しくなりました!